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京都地方裁判所 昭和60年(ワ)275号 判決

原告

三枝泰造

原告

三枝昌子

右両名訴訟代理人弁護士

佐古田英郎

御器谷修

中道正広

被告

学校法人花園学園

右代表者理事

村口素高

右訴訟代理人弁護士

加地和

前川大藏

三谷健

被告

被告

被告

被告

被告

被告

被告

被告

右八名訴訟代理人弁護士

武藤達雄

主文

一  被告らは各自原告それぞれに対し各金一九三九万五四五八円及び同金員につき昭和五八年九月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の各請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告ら、その余を被告らの各連帯負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告両名

1  被告らは各自、原告ら各自に対し、各金三七〇七万〇六二六円及び同金員につき昭和五八年九月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの各請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 訴外亡三枝環(以下「環」という。)は、昭和三九年一〇月六日、原告三枝泰造(以下「原告泰造」という。)と同三枝昌子(以下「原告昌子」という。)との間の二男として出生した。そして、環は、昭和五八年四月、被告学校法人花園学園(以下「被告学園」という。)が設置する花園大学・文学部・史学科に入学した。

(二) 被告学園は、「仏教の教義ならびに禅精神に基き教育基本法および学校教育法に従い高等教育を施すことを目的」として設立された学校法人である。

(三) 被告A(以下「被告A」といい、その余の被告も同様に略称する。)は、昭和五八年八月当時、花園大学の四回生で同大学応援団(以下「応援団」という。)団長、被告Bは、当時、同大学の四回生で応援団副団長、被告Cは、当時、同大学の四回生で応援団総務部長兼リーダー部長、被告Dは、当時、同大学の四回生で応援団親衛隊隊長、被告Eは、当時、同大学の四回生で応援団幹事長、被告Fは、当時、同大学四回生で同大学吹奏楽部長、被告Gは、当時、同大学の三回生で応援団統制部長、被告Hは、当時、同大学の二回生で応援団団員であつた。

2  環の死亡とその原因

(一) 環は、昭和五八年四月頃、応援団に入団した。

(二) ところで、応援団は、「愛校精神を重んずべし」との団訓のもとに結成された被告学園の公認する団体であり、部室も同学内にあつた。応援団では、その設立の当初から、団員の練習に熱意がみられなかつたり、練習成果が上がらなかつた場合や、上級生の指示が守られない場合においては、上級生が下級生に対し「気合いを入れる」等と称して、その練習時や集合時に竹刀や手拳等でその顔面、腹部、臀部、大腿部等を殴打するなどして暴行を加えることが伝統となり、慣習化されていた。

そして、被告学園は、応援団の右伝統ないし慣習を熟知していたにも拘らず、是正のための何等の措置を講ずることもなく、これを黙認していた。

(三) 応援団の団員のうち、被告学園を除く被告ら(以下「被告応援団員ら」という。)と環は、昭和五八年八月二七日に、応援団夏期合宿練習を行うため、三重県度会郡二見町大字江二三一番地の五所在の見浜屋旅館に行つた。ところが、同合宿練習において、被告応援団員らは、前記「気合いを入れる」等と称し暴行を加えるべく共謀のうえ、

(1) 同月二八日午前一〇時頃から午後五時頃までの間に、右同町大字江字高松二二九番地の一所在の二見浦公園松林内及び同町大字荘字住吉二〇六八番地の二所在の二見浦海水浴場砂浜において、被告B、同C、同D、同E、同G、及び同Hが多数回にわたり、竹刀、手拳等で環の顔面、腹部、臀部、大腿部等を殴打する等の累次の暴行を繰り返した。

(2) また、翌二九日午前一〇時頃から午後五時頃までの間に、右二見浦海水浴場砂浜において、被告B、同C、同D、同E、及び同Gが、多数回にわたり、竹刀、手拳等で環の顔面、腹部、臀部、大腿部等を殴打等し、同Hが環の顔面を三回位殴打して累次の暴行を加えた。

右各暴行により、環は顔面、腹部、上下肢等全身打撲、皮下出血、脾臓破裂、左側頭部急性硬膜下血腫の傷害を負い、その結果、同年九月六日午前〇時一五分、市立伊勢総合病院において、右急性硬膜下血腫に基づく脳圧迫により死亡した。

3  被告らの責任

(一) 被告応援団員ら

訓練とはいえ、身体、生命に危害を加えるような「しごき」が許されないことは自明の理であり、被告応援団員らは、環の死亡につき共同不法行為者としての責任を負うべきである。

(二) 被告学園

環と被告学園との間には、昭和五八年四月、花園大学に入学した時から、環が同大学から教育を受けることを主たる目的とする在学契約が成立した。そして、同在学契約においては、その当然の帰結として、被告学園が学生に対し、受講時のみならず同大学が公認するクラブや同好会活動等において学生の生命・身体に危険が生じるおそれがある場合には、これを防止するための万全の注意を払うべき安全配慮義務を負つていた。

ところが、被告学園は、第一に、応援団においては「気合いを入れる。」等と称して上級生が下級生に前記のような集団暴行を加える伝統ないし慣習が存すること、それにより不特定多数の学生の生命すら危険に陥るという状況が現存することを熟知していたにも拘わらず、右伝統ないし慣習を排除するなどの具体的措置を何等講ずることなく、これを黙認していた。これは、被告学園の前記安全配慮義務を懈怠する重大なる違法な不作為である。

また、被告学園は、第二に、応援団の本件夏期合宿練習において、前記の下級生に対する集団暴行の伝統ないし慣習のもとに被告応援団員らが環に対し集団暴行を加えないよう、学長・学生部長・同応援団団長等を通じて具体的に指導・監督すべき義務があるところ、何等の措置をとらず、その結果環の死亡という結果を惹起した。これは、被告学園の前記安全配慮義務を懈怠する具体的且つ重大なる違法な不作為である。

したがつて、被告学園に右各安全配慮義務違反に基づく債務不履行ないし不法行為責任が生ずることは、極めて明白である。

4  損害

(一) 環

(1) 逸失利益

環は、死亡時一八歳であつたから、就労可能年数は大学卒業見込時の二二歳から六七歳までの四五年間であり、そのホフマン係数は二〇・八五二である。そこで、昭和五七年度のいわゆる賃金センサスによる新大卒該当年令の年収は四五六万二六〇〇円であるから、生活費として五〇パーセントを控除したうえ、右のホフマン係数をもちいて逸失利益の現価を算出すると、四七五六万九六六七円となる。

(2) 慰藉料

環は、死亡当時、花園大学に入学して間もない時で、将来に希望を託していたところ、被告応援団員らの共謀による集団暴行によりその希望を無惨にも打ち砕かれたのであり、その精神的苦痛は甚大である。特に、被告学園は仏教の教義を建学の精神とするにもかかわらず、応援団の前記下級生に対する集団暴行を伝統ないし慣習として黙認さえしていたことが、環の死亡の大きな原因となつているだけに、環の無念さは筆舌に尽くし難いものであり、右精神的苦痛を慰藉するには一〇〇〇万円をもつてするのが相当である。

(3) 相続

原告らは、環の合計五七五六万九六六七円の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続により取得した。

(二) 原告ら

(1) 慰藉料

原告らは、最愛の息子を被告応援団員らの執拗な集団暴行により失つたところ、人格教育の場と信頼して子供を託した被告学園が応援団に対し何等の指導・監督をしなかつたために本件事故が発生したことを合わせ考えれば、原告らの精神的打撃も極めて甚大なるものがあり、これを慰藉するには原告各自につき五〇〇万円をもつてするのが相当である。

(2) 医療費、遺体搬送料、葬儀費用

原告らは、環が死亡する迄の入院中の医療費等として二二万八五八六円、遺体搬送料として一四万三〇〇〇円、葬儀費用として一二〇万円を支払つた。

(3) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟の遂行を弁護士に依頼し、大阪弁護士会報酬規定を基準として、着手金二一〇万円を支払い、成功報酬については請求金額が認容された場合には五四〇万円を支払う旨約した。

(三) まとめ

以上により原告らは、各自三八三二万〇六二六円の損害賠償請求権を取得したところ、被告学園が環の看護料として五〇万円、弔慰金として一〇〇万円、被告応援団員らが御仏前として一〇〇万円をそれぞれ支払つたから、これらを二分の一ずつ損害填補として控除すると、原告らの損害賠償請求権は各自三七〇七万〇六二六円となる。

5  結論

よつて、原告らはそれぞれ被告ら各自に対し、各損害賠償金三七〇七万〇六二六円及びこれに対する環死亡の日である昭和五八年九月六日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告学園の答弁

1  請求原因1のうち、(一)、(二)の事実、(三)で主張する被告らの在学年は、いずれも認めるが、その余の事実は不知。

2  同2のうち、(一)の事実は不知、(二)の応援団が被告学園の公認する団体で、上級生が下級生に対し暴行を加えることが伝統になつており、被告学園がそれを黙認していたとの点は否認し、その余の事実は不知、(三)の事故が三重県度会郡二見町で発生し、環が死亡したことは認めるが、その余の事実は不知。

花園大学におけるクラブには、認定のものと非認定のものとがあるところ、認定、非認定の決定権は学生で組織される学友会が有しており、被告学園には何ら決定権がない。また、いわゆる学園紛争以後は、学友会が被告学園に対し、認定・非認定いずれのクラブに対しても、その運営に関し干渉してはならない旨、申し入れていた。右のように被告学園と応援団との間に、組織的なつながりというものは一切なかつたのであるが、被告学園では、教育上の見地から、学生課を中心として、応援団に対し苦情が持ち込まれた場合には、その都度、適切な指導・監督を行なつていた。応援団に対する苦情というのは、その大多数が新入生に対する勧誘が強引すぎるので善処を求めるという父兄からの要望であつた。昭和五八年度について言えば、四月から七月の間に三件、勧誘に関することで苦情が持ち込まれたが、その際、いずれも学生部長、学生課長等が応援団員に話をし過度の勧誘をしてはならないこと、クラブというものは自主的に参加すべきものである旨説諭している。強制勧誘に対する苦情以外では、昭和五五年度に応援団員が近畿大学の応援団員から暴行を受けるという事件があつたが、その際にも学生課が中心になつて応援団から事情を聴取し、近畿大学応援団と話合いをして和解するよう指導した。

以上のように被告学園では、教育上の見地から、応援団に対し適切な指導・監督を行なつていた。そして、右の指導・監督をなすことが、被告学園のなしうべき最善の措置であり、それ以上に強制的な勧誘があること或いは他大学の応援団と紛争があつたことを理由として、直ちに応援団に解散を命ずることは不可能である(そのような権限を大学側は有しておらない)。換言すると、大学側としてとりうる手段には限界があるのであり、被告学園では、そのとりうる手段の範囲内で、最大限の努力を払つてきた次第である。

3  同3(二)のうち、環と被告学園との間に原告ら主張の在学契約が成立したことは認めるが、被告学園の責任に関する主張は争う。

仮に、被告学園が安全配慮義務を負つていたとしても、大学生は成人或いはほぼ成人に近い判断能力を持つており、自主的な判断で責任を以て行動するものと期待されている。したがつて被告学園には、逐一学生の行動と結果について監護する責任はないと言わねばならない。即ち、一般に、保育園から小中高校、大学へと進むに従つて教育を受ける者の判断能力は高くなり、それに反比例して学校側の安全配慮義務は低くなると考えられる。この意味において、大学生の起した事故については、一般的に大学の負う安全配慮義務はかなり低いと言うべきであり、学校内での学生間或いは学生の第三者への加害であつて教職員の面前で行なわれ、制止し得たのに制止しなかつた場合とか、予め学生からの訴えにより事故発生の相当高い可能性を認識していた場合を除いて、大学側の過失は否定されるべきである。

そこで、これを本件に即していえば、被告学園では、前叙のとおり応援団から強制的な勧誘を受け迷惑をしている旨の学生及び父兄からの苦情を聞いたことはあるが、応援団員から応援団での練習中、集団で暴行を受けている旨の苦情を聞いたことはなく、また環から本件事故発生前、応援団から退部したいという申出を受けたこともないのであり、まして同人から応援団での練習の際、集団で暴行を受けている旨の申出もなかつた。仮に、環から右の如き申出がなされておれば、被告学園では応援団に対し、適切な指導・監督を行なうことができたかもしれないが、そのような申出は一切なかつたのであり、したがつて、被告学園において、本件事故の発生を予見することは不可能であつた。

更に本件事故が発生したのは夏期休暇中のことであり、発生場所も花園大学構内ではなく、三重県度会郡二見町であるところ、応援団は同地で合宿することについて、被告学園に何らの届けもしておらず、被告学園では本件事故の発生を関知することが全く不可能な状態にあつた。換言すると、被告学園には本件事故に対する結果回避可能性がなかつたものである。

以上の次第であつて、被告学園が責任を負うべきいわれはない。

4  同4のうち、相続関係の事実、被告学園の支払額は認めるが、被告学園に対する非難の事実は否認し、その余の事実は知らない。

5  同5の被告学園に対する主張を争う。

三  被告応援団員らの答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、(一)の事実は認める、(二)の被告学園が応援団を公認していたこと、練習成果が挙がらなかつた場合にも気合いを入れたとの点を否認し、その余の事実は、暴行という評価の点を除き認める。

(三)のうち、被告応援団員らの共謀に基づく殴打によつて、環が脾臓破裂、左側頭部急性硬膜下血腫の傷害を負つたことは否認し、環の死因は左記のとおりで、その余の事実は認める。

環が死亡したのは被告応援団員らの気合いを入れる行為によるものではない。環には本件合宿地に向かう途上から合宿中にも、次のとおり諸種の異常な行動がみられ、且つ体調が著しく悪化していたのに加えて、炎熱下の練習のために昭和五八年八月二九日午後五時頃堤防上で倒れ、左側頭部を強打したため、急性硬膜下血腫の傷害を惹起し死亡するに至つたもので、環の死亡と被告応援団員らの殴打行為との間には事実的因果関係は存在しない。

(一) 先づ環の合宿地に行く前後から合宿中の異常行為は、次のとおりであつた。

(1) 昭和五八年八月二一日頃応援団員大津享一が環の下宿に寄つた時、同人の左側頭部に擦り傷が数本あることを見付け、同人に問いただすと、田舎に帰つてアルバイトに行く途中、単車が転倒して出来た傷かも知れないと言つていた。

(2) 同月二六日夜、環は被告Hの自宅に泊つたが(翌日の食糧であるおにぎりをつくるため)、同人が余りに疲れており、体調が悪そうだつたので、被告Hの母親がビタミン剤を飲ませた。

(3) 同じ応援団員大津享一の言によると、同人が同月二七日環に電話をしたとき、体調が悪い旨を伝えている。

(4) 同月二七日昼頃自動車二台で二見浦へ向う途中、滋賀県の三雲ドライブインで昼食をとるとき、環はせつかく被告Hの家でつくつてくれ、全員が食べるおにぎりを全部落してしまつた。そして、それを捨てるのに目の前にある一個を見落して捨てるという珍事もあつた。

(5) 同月二七日午後五時頃宿合である見浜屋旅館で被告Bが環と入浴した。その際被告Bは湯が非常に熱いので水で微温めるよう環に指示したのに、同人はそれを無視し、被告Bの背中に熱湯をかけたり、平素から訓練指示しているのに風呂から出るときタオルを風呂の湯で洗うなどの失敗を重ねた。

(6) 同月二七日夜一一時頃環は被告Gに対し「吐き気がする」旨訴えていた。

(7) 同月二八日、二九日を通じて環は、通常基礎練習である腹筋運動など五〇回も可能なのに、僅かの回数しかできず、二八日の午前一一時頃腹筋運動の最中、背後に倒れて砂利のある土地に後頭部を強打した。これは被告C、同E、同Gが目撃している。また同人は、四股練習のとき著しく耐久力に欠け、直ぐ腰くだけの状態になつてしまつた。また応援団では動作を機敏にすることが訓練されているが、両日の環は、極めて緩慢で、旅館へ帰るときの走力さえも相当低下していた。

(8) そればかりでなく、二八日、二九日を通じて環は焦点の定まらないうつろな目をしており、また、二九日の午後五時半頃同人が太鼓などの後片づけをする際ぼやつとしているので、被告Fが「手伝おうか」と云うと、同人は「太鼓とは……」と太鼓の説明を始めるなど不可解な言動が多かつた。

(9) 同月二八日午前一〇時頃被告応援団員らが基礎練習である四股立をしていたとき、環が自ら自己の下唇の内側を「ぶちぶち」という音を発しながら噛みちぎつていた。これは被告Gが目撃して被告Eに話をしている。

(10) 同月二八日午後環が気分が悪そうなので、被告Cが「しんどいのか」と聞くと、環は「吐き気がする」と云うので、同被告が「もどしてこい」と云うと、同人は松林の階段を下りた堤防の下で長時間もどしていた。被告Fがその嘔吐物を目撃している。

(11) 同月二八日の夜環が「頭が痛い」と云うので、被告Hは携帯して行つた薬(バッファリン)を同人に与えている。

(12) 環の以上の異常行為は、本件事故が発生した後に振り返つてみて想起されるものであるが、その他にも同人には不可解な行為がみられた。

(二) ところで、人間の脳内に出血があつた場合、(1)頭痛が生ずること、(2)嘔吐を催すこと、(3)意識レベルが低下すること、(4)運動能力が低下することは医学的に明らかである。環には前記のように合宿練習に行く以前から右の徴候が現れており、合宿中にもはつきり右症状が顕著となつている。したがつて、環には既に何らかの理由で脳内の傷害があつたものと考えられる。

(三) 環は、同月二九日午後五時頃、コンクリートの堤防上で左側頭部を下に倒れた。倒れる瞬間の目撃者は居らないが、倒れた直後の状態は、被告応援団員らの供述から明確であり、環が下側頭部をコンクリート堤防に強く打ちつけたことは否定し得ない。してみると、環の死亡の原因である左側頭部急性硬膜下血腫の傷害は、右コンクリート堤防上に倒れた際の打撃によるものである。何となれば、環は入団以来、上級生からの「気合い」を毎日のように繰り返されてきたもので、本件合宿練習で特段激しく気合いを入れられたものではないからである。

3  同3の(一)の被告応援団員らの責任は争う。

4  同4のうち、相続関係及び被告応援団員が一〇〇万円を支払つたことは認めるが、医療費、遺体運搬費、葬儀費及び弁護士費用は不知であり、その余の損害を争う。

5  同5の被告応援団員らに対する主張を争う。

四  被告応援団員らの抗弁

1  正当行為と違法性阻却

被告応援団員らが環の顔面、腹部、臂部、大腿部に対し加えた殴打行為は、次のとおり正当行為ないし違法性阻却事由により、不法行為が成立しない。

(一) 被告応援団員らの環に加えた殴打行為は、その行為自体を無目的、物理的に考えれば、人体に対する物理的な力の行使であるから、刑法二〇八条の暴行に該当することは否定できない。けれども人間の行為はその行為の目的との関連ではじめて真の意味が理解できる。応援団は禅学精神を基にする社会に役立つ人間形成と全学応援を目的とする有志団体であり、昭和四一年の創団以来愛校精神、礼節、身心琢磨、和合、雑草精神をそれぞれ重んずることを団訓としている。そして、団員の集合時、練習時、その余の団体活動時、更には平常の生活時に上級生から順次下級生に対し、いわゆる気合いが入れられる。気合いを入れる行為の実体は、上級生から順次下級生に対し、(イ)言葉による訓戒激励、(ロ)正拳突き(顔面、胴体)、(ハ)足蹴り(腹部、足、臂部)、(ニ)竹刀打ち(練習時その内容により肩、腹部、大腿部、臂部)などである。これらのうち(ロ)、(ハ)、(ニ)は、大学の建学の基である禅学精神(臨済禅を通じて精神修養にもとづく社会に貢献できる人間の育成をめざす)の実践で用いられる「坐禅での警索」に相当するもので、精神の覚醒、緊張を促がすことを目的とする肉体への物理的力の行使である。肉体への刺戟、苦痛により精神の緊張を呼び起すことにより、肉体的にも精神的にもこれが自己の最大限の努力の結果であると認識している主観的限界の殻を破り、さらに身心の飛躍向上を目ざす鍛練、教化、そして激励の方法なのである。それは私情や私怨や私利に基づくものでないことは勿論、畏怖を目的とするものでもなく、意味のない儀式や慣習でもなく、強制を目的とするものでもない。まさに正義と愛情に基づく先輩から後輩に対する厳しい鍛練教化なのである。この気合いを入れることにより応援団員は、上下の服従関係、連帯責任、忍耐力、責任など人間形成に必要な徳育を身につけて成長する。この気合いを入れることは応援団の創立以来、先輩から後輩へと順次受け継がれ、その伝統となつて慣習化されており、被告応援団員らは、それが社会的に非難されるべき違法行為とは全然考えても居らない。事実応援団の今回の如き合宿練習は年に二回行われており、昭和五八年三月の天理市での合宿練習では、今回の二見浦の夏期合同合宿練習以上に厳しく後輩に対し気合いが入れられ、被告Hなどは環以上に顔面、腹部上下等全身打撲、皮下出血の傷害をうけたのである。今回の場合も環ばかりでなく被告G、同Hも環に劣らず気合を入れられているのである。決して環だけに対し気合いが入れられたものではない。

勿論応援団といえども、社会の公序良俗のうえから「気合いを入れる」行為が常軌を逸することは許されず、木刀を使用すること、顔面の中央部、水月(みぞおち)、金玉(睾丸)、後頭部、側頭部を殴打したり、蹴つたりすることは強く禁止されているのである。それだからこそ、応援団員は上級生の気合いを入れる行為によつて顔がはれたり、身体にあざができることは常のことであるにも拘らず、世論でとりあげられて非難されることもなく、また警察権が介入することもなく今日に至つたのである。事実大学のスポーツ部の鍛練が如何に厳しく暴力的であるかは、部員からつぶさにその実体の本音をきけば判明する。そうでなければ試合に勝つとか、記録を更新するとかは不可能なのである。そして大学の体育部や応援団が暴力的鍛練をすることは伝統となつており、慣習化しているのである。礼儀を失い、私利私欲と無秩序とが支配する現在青年の社会において、斯様な厳しい鍛練をする有志サークルの存在はむしろ必要である。よつて、応援団が伝統と慣習により「気合いを入れる」と称して上級生から下級生に順次行われる顔面、腹部、臂部、大腿部等を殴打することは、その実体が暴行、すなわち物理的力の行使であるにも拘らず、その目的性からみて心身の鍛練教化そのものであり、正当行為として違法性がない。

(二) 社会の一般人は、大学の応援団において上級生、下級生の上下関係が厳しく、上級生から下級生に対し暴力的な気合いを入れられることを常識と考えており、一般の花園大学の学生もこれを十分知りつくしている。環としても、応援団に入団したならば上級生から相当厳しく気合いを入れられることを承知のうえで入団したものであるから、上級生より気合いを入れられることを、包括的に承諾しているものである。したがつて、環は、原告らの主張にいう「暴行」をうけることを承諾していたのであるから、違法性が阻却される。

2  予備的過失相殺

被告応援団員らが不法行為責任を負うべきであるとしても、環にも次のとおり不注意があつたから、生じた損害につき過失相殺がなされるべきである。

(一) 個人の尊厳を至高価値とする日本国憲法のもとでは、できる限り個人の自由を尊重し、その人格の自由な発展を妨げてはならない。国家ないし社会はその個人の意思に反してまでその法益の保護を行うものではない。国家は一定の範囲で法益の保護を個人の自己決定に委ねている(自己決定権の承認)。

これを本件についていえば、前叙のように花園大学の応援団では上級生、下級生の上下関係が厳しく、上級生から下級生に対し「気合いを入れる」という呼称で実質的な暴行が加えられることは、社会一般人の常識でもあり、一般の花園大学の学生もこれを十分知りつくしている。環も応援団に入団したならば、上級生から相当厳しく気合いを入れられることを承知のうえで入団したものであり、事実昭和五八年の四月の入団から事故発生の八月二九日までの環は、練習又は集合のときに毎日のように気合いを入れられてきたものである。したがつて環は、自ら「気合い」すなわち暴行を受けることを「自己鍛練」として容認してきたものである。「気合い」を拒否するのであれば、当初から入団しなければよく、その後も他の入団者のように退部することもできた筈である。要するに環は暴行をうけることを包括的に承認してきたのである。したがつて本件事故には環の側にも過失が存するのである。

(二) 昭和五八年八月二八日、二九日の合宿における「気合い」が通常の練習時、集合時より特段に厳しく且つ多かつたという事実はない。環が合宿地に向う途上から合宿中も、前叙のように従来の環には見られない体調が極めて悪いと推測される異常行動がみられた。環としては体調が悪かつたのであれば、合宿に参加することをやめればよく、或は参加しても体調が悪いことを上級生幹部に訴えれば、被告応援団員らとしても、当然「気合い」を入れることをしなかつたと思われる。同被告らとしては、環の死亡という結果をみて、初めて体調が悪かつた諸徴候を思い出したような始末で、事前にはそこまで気がつかなかつた。したがつて環の死亡には、同人が自己の体調を考えずに漫然と合宿に参加し、体調の不調を訴えることをなさなかつたところに不注意が存するものである。

五  抗弁に対する答弁

抗弁事由は、いずれも争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者の関係

請求原因1の事実については、原告らと被告応援団員らとの間においては争がなく、被告学園との間においても、被告応援団員らの応援団などでの地位を除き争がないのであり、同地位については弁論の全趣旨によりこれを認める。

二環の死亡とその原因

1  環が昭和五八年四月頃、応援団に入団したこと、その応援団が「愛校精神を重んずべし」との団訓のもとに結成され、部室も学内にあつたこと、そして、応援団では、結成の当初から団員の練習に熱意がみられなかつた場合や、上級生の指示が守られなかつた場合においては、上級生が下級生に対し「気合いを入れる」ということで、練習時や集合時に竹刀や手拳等でその顔面、腹部、臂部、大腿部等を殴打することが伝統となり、慣習化されていたこと、以上の事実は原告らと被告応援団員らとの間では争がなく、被告学園との間では弁論の全趣旨により同事実を認める。

そして、この気合いを入れるという所為は、右の場合に限られたものではなく、後記認定のように恣意的な動機に基づいても行われていた。

更に、原告らと被告応援団員らとの間では、被告学園が応援団の右伝統ないし慣習を熟知しながら、何らの是正措置を講ずることなく黙認していたという点については争がない。そこで、右の点を被告学園との関係で検討する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  応援団の前身は、昭和四一年ないし同四三年頃の学園紛争中に、花園大学の学長であつた山田無文の親衛隊として発足したと伝えられているが、同四七年頃学内暴力事件により同大学学友会から除名されて、一旦解散した。しかし、その後、学友会から公認されない有志団体として、応援団が結成されるに至つたのであるが、嘗ての名残りと思われる親衛隊長の役職は存続している。

(二)  応援団は、非公認とはいえ大学構内の建物の一部を部室として専用することが認められており、日常活動として昼の休憩時間や放課後に、構内駐車場、部室前、もしくは体育館で練習を続けていたほか、年一回講堂を借り受け、乱舞祭と名付けて立派な案内用のパンフレットまで用意し、練習の成果を学内で発表していたのであり、昭和五五年に行われた乱舞祭の機会には、同大学学長が応援団の活動を評価し、支援協力を呼びかけたりもしたし、少くともその頃以降、大学の非常勤講師であつた水野泰嶺が応援団相談役に就任していた。

また昭和五七年七月初め頃、同大学内で開催された黛敏郎の講演会を一部の学生が妨害する挙に出た際、大学当局から被告Bに対し、話をうまくまとめて欲しいとの依頼と共に、応援団として黛を警護して貰いたいとの要請があり、応援団は他の体育系の部と共に右要請に応じた。

(三)  応援団の練習は、殆ど毎日のように行われていたのであるが、その都度上級生から下級生に対し、気合いを入れると称して手拳で顔面を殴打したり、腹部などを足蹴りしたほか、竹刀をもつて臂部などを殴ることがあつて、気合いを入れられる側は身体が傷だらけになることさえあつた。しかし、応援団ではこれを独自の精神修養、人格形成の手段として美化し、伝統と標榜し、誇示して憚からなかつた。そこで、項を改めて、更にこの点に触れることにする。

(四)  応援団の団長は、他の幹部に委せて、自ら気合いを入れることはない。副団長が指導上の最高責任者となり、原則的には幹部である四回生から準幹部である三回生、三回生から二回生、二回生から一回生へと申し送り的に順次気合いが加えられるものの、時に四回生や三回生が直接一、二回生に気合いを加えることもあつた。それに、気合いも、例えば、気合いを加えられて鼻血を出すと、「鼻血を出すな」といつて更に気合いを入れるとか、練習のため集合した人数が足りないとして集合者に、また学内での歩き方や挨拶の仕方が悪いといつて、その者に対し容赦なく加えられた。

本件事故に接着した昭和五八年四月以降のことであるが、大学当局に対し、応援団の新入生勧誘が強引であるとか、一旦入団した新入生が気合いを伴う練習の厳しさに耐えかねて退団したいのに認めて貰えないといつた苦情が持ち込まれ、顔面打撲の診断書を示す者さえあつた。そこで、同年六月九日には、大学の部長を構成員とする執行部会議でこの問題が論議された末、応援団に対し過度の勧誘をせず、自由な退団を認めるよう指導することになり、翌日学生部長が応援団幹部の被告B及び同Dにその旨を伝え、善処を求めた。しかし、同幹部らは、殴ることも練習の一部で、暴力でないと弁明した。それに対し学生部長は、その論が社会的に通用しないことを説いたのであるが、応援団に改善の姿勢は全く伺えなかつた。のみならず、その後にも同種の苦情が持ち込まれたのに、大学当局は通り一遍の対応しかせず、実効性のある是正措置を講じようとしなかつた。

なお、応援団では、大学当局へ届けることなく、春と夏に合宿を行うのを常とし、殊に夏には乱舞祭を控えて密度の濃い練習が行われ、厳しい気合いが入れられていたのであり、大学当局は、それらの合宿が行われていることを承知していた。

以上の認定に反する証人竹中智泰及び同鷲津孝道の証言部分は措信できず、他に同認定を覆すに足る証拠はない。

以上の事実に鑑みると、被告学園と応援団とはかなり緊密な関係にあつたことは動かし難いところであつて、被告学園は応援団の内情に通じていたことも推認するに十分である。しかも、応援団自体がさきに認定した体質を誇示していたのであるから、いずれにしても被告学園としては、応援団内部において上級生が下級生に対し、気合いを入れると称して、度を超える暴行を常時働いていたことを十分に承知していたと推認するのが相当であり、しかもそれを承知しながら通り一遍の対応しかしなかつたのであるから、黙認していたと評されてもやむを得ないというべきである。

2  次に、応援団の団員のうち、被告応援団員らと環が、昭和五八年八月二七日に、応援団夏期合宿練習を行うため、三重県度会郡二見町大字江二三一番地の五所在の見浜屋旅館に行つたこと、同合宿練習において、被告応援団員らが「気合いを入れる」ということで、

(一)  同月二八日午前一〇時頃から午後五時頃までの間に、右同町大字江字高松二二九番地の一所在の二見浦公園松林内及び同町大字荘字住吉二〇六八番地の二所在の二見浦海水浴場砂浜において、被告B、同C、同D、同E、同G及び同Hが、多数回にわたり竹刀、手拳等で環の顔面、腹部、臀部、大腿部等を殴打したこと、

(二)  また、翌二九日午前一〇時頃から午後五時頃までの間に、右二見浦海水浴場砂浜において、被告B、同C、同D、同E及び同Gが、多数回にわたり竹刀、手拳等で環の顔面、腹部、臀部、大腿部等を殴打等し、被告Hが環の顔面を三回位殴打したこと、

環が右の所為により、顔面、腹部、上下肢等全身打撲、皮下出血の傷害を負つたこと、そして、環が同年九月六日午前〇時一五分、市立伊勢総合病院において、急性硬膜下血腫に基づく脳圧迫により死亡したこと、以上の事実は、原告らと被告応援団員らとの間では争がなく、被口学園との間では弁論の全趣旨により同事実を認める。

3  そこで、環の急性硬膜下血腫の成因を中心として、その前後の状況につき検討する。

(一)  〈証拠〉を総合すると、慢性硬膜下血腫の場合、血腫が凝血塊でないことが多く、血腫に非常に厚い被膜が存在するといつた特徴がみられるところ、環の硬膜下血腫にはそれらの特徴がみられず、二九日午後五時頃を発症の時期とする急性硬膜下血腫であつたこと、そして、環の血腫は、外力に起因し、脳挫滅を伴う架橋静脈(脳表面から硬膜に入る静脈)の損傷を出血原として硬膜下に血液が貯溜したものであり、その結果、頭蓋内圧亢進、脳圧迫、延いては脳中心部(幹部)を損傷して意識障害を起し、頭蓋骨切除、血腫の排除にもかかわらず呼吸停止を惹起したものであること、この急性硬膜下血腫の成因たる外力として、最も想定し易いのは、右側頭部、右後頭部に対する打撃であるが、もとより左側頭部、左前頭部及び左右頬部の打撃によつても発生するところ、環の身体に遺された打撲痕は、左頬部、臍の周辺部、両大腿部、両下腿部であつて、頭部にはそれらしきものが認められなかつたこと、そして、環の脾臓も破裂しているところ、これも外力によるものであること、以上の事実を認めることができる。

もつとも、被告応援団員らは、具体的事実を挙げて、環の硬膜下血腫が本件事故以前から徐々に進行していたかの如くに主張し、且つそれに添う証拠として、乙第五ないし第一一号証が存するが、それらの証拠によつても同日午後五時頃までは、環の運動機能に硬膜下血腫の形成を疑うに十分な状況が認め難いのであるから、いずれも右認定を左右するに足らず、主張は採用できない。そして、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

(二)  前記2の説示と右認定事実を総合すると、環の急性硬膜下血腫は、被告応援団員の暴力を契機として、二九日午後五時頃発症したと推認するのが相当であり、この推認を妨げるに足る特段の事情は認め難い。

三そこで、被告らの責任について検討する。

1  被告応援団員ら

環の急性硬膜下血腫の成因たる暴行は、被告応援団員ら全員の共同加功によるものではないけれども、さきに説示の事情によれば、被告応援団員らは、予め環に対しかかる暴行が加えられることを予想し、且つそれを容認していたと解するのが相当である。

したがつて、被告応援団員らは、共同不法行為者としての責任を免れることができないというべきである。

なお、被告応援団員らは、正当行為ないし違法性阻却としてるる主張するのであるが、いずれも独自の論であつて、排斥を免れない。

2  被告学園

いうまでもなく被告学園と環との間には在学契約が存し、被告学園としては同契約に基いて、環の生命・身体の安全に配慮すべき義務を負担していたというべきである。

ところで、ここにいう安全配慮義務とは、被告学園の管理可能な領域において、客観的に予測される学生側の危険に適確に対処し、事故の発生を未然に防止すべき義務と観念するのが相当である。

よつて、これに即して本件につき検討すると、さきに説示のように被告学園は、応援団内部において上級生が下級生に対し、気合いを入れると称して、度を超える暴行を常時働いていたことを十分に承知していたというべきであるから、応援団に所属する下級生であつた環の生命・身体に危険が存したことは、被告学園にとつて客観的に予測の範囲内のことであつたと解するのが相当である。しかるに、被告学園が前叙のとおり通り一遍の対応をするにとどまつたが故に、本件事故として具体化するに至つたというべきである。もつとも、本件事故自体は、場所的に被告学園の管理可能な領域で発生したものではないけれども、それはたまたま危険の具体化の場がそうだつたというだけのことで、客観的に予測できる該危険が管理可能な領域において存した以上、安全配慮義務懈怠の責を免れることはできないと解するのが相当である。

そうだとすれば、被告学園は、不作為による不法行為者としての責任を負うというべきである。

四よつて、損害につき検討する。

1  環

(一)  逸失利益

当事者間に争のない環の出生年月日によれば、同人が死亡時一八歳であつたことは明らかで、その就労可能年数は大学卒業見込時の二二歳から六七歳までの四五年間と推認するのが相当であり、その新ホフマン係数は二三・二三〇七である。そこで、昭和五八年度のいわゆる賃金センサスによる新大学卒該当年令の年収は二二五万七三〇〇円であるから、生活費として五〇パーセントを控除し、逸失利益の現価を算出すると二六二一万九三三〇円となる。

(二)  慰藉料

事故の状況や原告らが固有の慰藉料請求をしていること、その他諸般の事情を考慮し、慰藉料額は六〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  相続

原告らが環の相続人として、その権利を二分の一ずつ相続したことは、当事者間に争がない。

そうだとすれば、環の三二二一万九三三〇円の損害賠償請求権の二分の一である一六一〇万九六六五円ずつが原告各自に帰属する。

2  原告ら

(一)  慰藉料

〈証拠〉によると、環は原告らの心優しい二男であつたことが認められるのであるから、原告らが、前叙のとおり環の突然の無惨な死に接し、筆舌に尽し難い精神的苦痛を被つたであろうことは推測するに難くない。

そこで、環に対する慰藉料額など諸般の事情を考慮し、原告らに対する慰藉料額は、各三〇〇万円と定めるのが相当である。

(二)  医療費、遺体搬送料、葬儀費用

〈証拠〉によると、原告らが環の死亡に至るまでの医療関係費として二二万八五八六円、遺体搬送料として一四万三〇〇〇円、葬儀費用として少くとも一〇五万五五一四円を支払つた事実を認めることができる。

そうだとすれば、右の医療関係費、遺体搬送料の各全額と葬儀費用のうち七〇万円の限度で、本件事故と相当因果関係のある損害と認める。したがつて、原告各自が取得する額は五三万五七九三円ずつとなる。

3  まとめ

以上によれば、原告各自の損害請求権の額は一九六四万五四五八円になるところ、原告らにおいて被告らからの受領金員合計二五〇万円を二分の一ずつ損害填補として受領したことを自認するから、これに従つて控除すると、原告各自の残損害額は一八三九万五四五八円となる。

そして、原告らが本訴の提起追行を弁護士に委任していることは明らかであるから、それに要する費用のうち各自につき一〇〇万円ずつの限度で本件事故と相当因果関係のある損害と認め、これを右に加算する。

なお、被告応援団員らは過失相殺の主張をするが、失当であつて採用できない。

五以上の次第であるから、被告らは各自原告それぞれに対し、各損害金一九三九万五四五八円及び同各金員につき環の死亡の日である昭和五八年九月六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負担しているというべく、原告らの各請求は、この限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、本文、九三条一項但書、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官石田眞)

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